ほけきよの回り道

メインに短しtwitterに長し。ほどよく不定期。メインのprocrastination

僕の想像力の源泉となった人

ほい!

メインに書こうか悩んでたけど、ちょっと恥ずかしいのでここに書く。 もしかしたらまとめてメインに書くかも。でもそのサブセットな話。

僕は物事が続くわけでもないし、記憶力がとてつもなくいいわけでもない。 計算がめちゃくちゃ速いわけでもない。 けれどひとつだけ、ほかの多くの人に負けないものがあるとしたら、あるものを前にしてあれこれ想像する力だと思う。連想力?創造力?推定力?

まあうまく言葉じゃいえんが、あれこれ考える力は負けない。その場で道具を渡されて、それを使って何ができそう?とか、ある問題が与えられて、そこにあるもの何使ってもいいから解いて? という類のものには、多分負けない。

そういう「あれこれ考える力」が身についたのは、多分親のおかげ。今でも印象に残っているエピソードがひとつある。

小学生だったかな?ひいばあちゃんのお墓参りに行ってたの。当時のほけきよ少年は、墓参りめんどくさいと思って、あたりをきょろきょろ見渡してた。そうすると、あることに気づいたの。

「みんな苗字の後に、家之(いえゆき)って名前がついてる...!」

で、親に聞いたわけ

「なんで、みんなっ"いえゆき"て名前なの?死んだらみんないえゆきになるの?」

って。

すると親は1分くらい爆笑してた。でもその後、割と真剣っぽくこう言ってくれた。

「これは○○家の墓って意味だよ。けどほけちゃんすごいね、之を"ゆき"って読むこと知ってたし、そういう普通の人にない発想ができるのが素敵だよ」

この言葉に救われて、今こうやって生きてこれてる気がする。だからいまでもずっと頭の中に残ってる。 私の親は、無知を馬鹿にすることなく、無知を知る限りの情報と創造力でカバーしようとした僕を「素敵」と評してくれた。

あのまま爆笑されて終わってたら、多分僕は考えるのが嫌いな人間になって、ぜんぜん違う人生を歩んでいたろうなと思う。

小1のころに、おばあちゃんちの家で「魚編の漢字を全部覚えるまで帰らない」っつって、深夜の1時まで漢和辞典読みふけったことがある。 そのときも、親は気持ち悪がって止めることなく「えらいね、集中力があるね。」とほめてくれた。ほんとはおばあちゃんちに迷惑かかるから帰りたかったろうにね。

あそこでとめられてたら、多分勉強なんか一切しない人間になってた。 ぼくは「勉強しろ」と親に言われたこともないし、勉強しないから怒られたこともない。 ただ、無知を馬鹿にせず、没頭をとめることなく、ほめてくれた。だから考えること・学ぶこと・創ることが楽しかった。

そんな親に感謝している。僕も、かくありたいものだ。